ねこのえさ
その日、朝事務所に入ると入口の横に発泡スチロールが置いてあった。
なにこれ?
パートに入ってくれてるエミちゃんに聞く。
「えーと。『猫の餌』って書いた紙が石と乗っかってましたよ。」
石?
「文鎮代わりですね」
エミちゃんがヒラヒラと紙を振った。
見ると「ねこのえさ」とかろうじて読める平仮名が並んでいた。
見覚えのある汚い字だな、かずか。
発泡スチロールの蓋をキシキシ言わせて開けてみると氷がびっしり入って、真あじがたくさん入っていた。
エミちゃんが覗き込んで、「これ、猫しか食べれないんですかね?」と聞く。
電話して聞いてみよう。
呼び出し音がほとんど鳴らないうちに出た。こいつ、またLINEやってんだな。
おはよう。蜜柑です。魚、置いてあったんだけど…。
「うん。猫にあげて」
人間は食べちゃダメなの?
「今朝とれたのだから、全然食べれるよ。」
だったらねこのえさって書かないで欲しい。
「俺全然気にしないよ。猫の餌奪って食ってたとか言いふらさないし」
ムカついた。
今朝獲れた魚らしいから、余裕で食べれるみたい。エミちゃんも半分持って帰る?
「嬉しいけど、私魚捌く自信ないですよー。いつも買うのは半身だし。」
そうよねー、捌けなくはないけどめんどい。
「いただけるなら実家に持ち込んで母に食べられるようにしてもらいます」
ま、それがベストだわね。
16時過ぎにエミちゃんは魚の2/3を持って帰っていった。
18時過ぎにかずとたけがやってきた。
「ちーっす。魚入れ回収に来ましたー。」
えっ、ごめん。まだ入ってるわ。
「ビニール袋かなんかに入れて冷蔵庫に入れといてよー。」
かずが中身を確認して、「あれ、随分少なくね?」と言う。
あぁ、折角だからパートさんに分けたんだよー。晩ごはんに。
「パートさんが居たんだ。」
4時までだからねー。あんたらと会う機会ないよねぇ。
「知らなかった」
「机が2つもあるから変だなとは思ってたけど」
かずは手早く魚をビニール袋に入れて、事務所の外の側溝に水と氷を流しに行った。
戻るとエアコンの風が当たる場所に陣取って「ああー涼しい」と声をあげた。
そのとき、事務所のドアが開いて小さな女の子が顔を出した。
「蜜柑ちゃーん。」
エミちゃんの娘のマコちゃん(4歳)だ。
あら、マコちゃん!こんばんは
そう声を掛けるとマコちゃんは事務所の中の金髪2人組を見て呆然と固まった。
ありゃあ…。
金髪2人組も振り向いた姿勢のまま同じように固まってる。
双方人見知り発動だ。
「蜜柑さん、さっきの…」
そう言いながら入ってきたエミちゃんも固まる。
「すみません、お客様ですか。」
いいのいいのこいつらは。あ、今朝の魚くれた。
「すみません、私もご相伴にあずかります。」
エミちゃんはそう言いながら2人に向かって頭を下げた。
あぁとかうぅとかよく聞こえないくぐもった声で2人もちょっと頭を下げる。
やっぱり女慣れしてねぇー。
エミちゃんはまるで気にする様子もなく、私に袋を差し出した。
「母が、蜜柑さんもお忙しいんだから!ってアジ下ごしらえしたの、持ってきました」
ええー、お母さんに申し訳ないよー。
「残りのお魚とトレードさせてくださいね。こっちのはタタキにしてます。こっちのは南蛮漬けで。こっちは普通にお刺身で猫さんも一緒に食べれます。小さいのはアジフライにして食べちゃえばいいかと」
マコちゃんが私の服の裾を引っ張りながら小さい声で
「マコもお手伝いした。お魚」
と言ってにっこり笑った。
ありがとうマコちゃん、エミちゃん!有り難く頂きます。
「じゃ、私はこれで。」
エミちゃんはもう一度、金髪2人組に頭を下げるとマコちゃんの手を引いて帰っていった。
「パートっていうからおばちゃんだと思ったやん!」
突然何言ってんだ。
「予想以上に若くて可愛かったからつい…」
んーマコちゃんは4歳だからね。
「そっちじゃねー」
というか、あんたらね。
いつもがちゃがちゃ言ってるくせになんで若くて可愛いだけで急にしゃべらなくなるわけ?
「緊張するじゃん」
「蜜柑ちゃんはばばあだからしないけど」
ふん。さー、私は今貰った魚でビール飲むんで事務所閉めるよー。
とっとと帰ってくれるー?
「うち提供の魚なのに…」
「感謝の気持ちも感じられないね」
「朝一からここまでせっせと運んできてから仕事に行ったのに…」
食ったら感謝の気持ちも沸くかもしんないから。帰れ!
南蛮漬けとアジのたたきはめちゃくちゃ美味しかった。
エミちゃんのお母さんには感謝の気持ちで一杯。