異種間コミュニケーション
今でこそ、おばさんとして図々しく見知らぬ人と誰とでも会話してしまうが、
こういう自分でも高校生くらいの頃は会話の糸口が掴めなかったり、共通属性が見いだせなかったりして軽く「気まずい空気」は体験している。
誰だってそうだろう。
子供の世界は狭い。
自分の所属する世界が「学校」と「家庭」だけだったりするのは普通でそこから少しずつ枝葉を伸ばしていくものだもの。
実際世間知らずで、アルバイトに出たころは知らないことの連続だった。
それでも、それは楽しいことのほうが多かった気がする。
そして、その頃、私達の世界に「コミュ障」なんて言葉はなかった。
人見知りとか口下手とかの括りだったように思う。
人との会話は、自分の中の引き出しと相手とのマッチング作業だ。
勿論、合う、合わないはある。
相手がキャッチボールに乗ってくれる話題を引っ張りだして投げなければならない。
話題は自分が知っていることを投げなければいけないわけではなく、
「それについて全く知らないけどどういう物だか教えてほしい」ということでも成立する。
ただ、「そんなん興味ないから」と断ち切ってしまえば、そこでそれは終わり。
双方、コミュニケーション成立せず。
こんなことを考えると、そういえば、不思議な人がいたなあと思い出す人がいる。
彼は端正な顔立ちをしていた。
新しくアルバイトに応募してきた男性。長年パン工場で働いていた人で、業績悪化からのリストラだったと言っていた。
最初、自分の居たグループに配属されたけど、彼は延々と新しい仕事に対する不安を訴えた。
「不安や不安や不安や不安や不安や不安や」
具体的な不安は言えない。ひたすら「不安や」としか言わない。
基本的に会社は底辺と言われる業界だったけど、別にブラックでもなんでもなかった。
タコ部屋に売られるわけでも、遠洋漁業に出されるわけでもない。おばさんの私だっている。
何がどこがそんなに不安なの?聞いても明確な答えは帰ってこない。
私は、不安を呟き続ける彼と会話を試みるのを諦めた。
その日の仕事は仕事先の不備が色々重なり、昼休憩が20分程度しか取れない混乱現場になった。
私も3ヶ月程度しか仕事をしてなかったけどそんなことは後にも先にもこの時だけだった。
重なる不備でリーダーのおじさんがちょっとイライラし始め、返事をしない新人の不安くんにちょっとキツい口調で注意をした。
休憩の交代にいくと不安くんは怒鳴りながら壁を何度も蹴っていた。怖かった。何この人?
次の仕事から彼は別のグループに配属されて会うことはなかった。
1ヶ月くらい経って、また同じグループに不安くんが来た。私は辞めてなかったことに驚いた。
もう不安は訴えなかった。淡々と仕事が出来るようになっていた。
リーダーのおじさんはバーコードヘルムを装備した気のいいおっちゃんで、怒鳴ることも注意することも殆どない人。
社内の資格試験間近でちょっとサボって資格勉強することがあったりしたけど、現場が混乱することもなかった。
もう一人は新人の男性だったけど、同業他社で働いてたことがある人ですごく仕事ができた。
昼休みは全員が1時間普通に取れた。昼ご飯時に普通に皆で話をする。
20分もしないうちに不安くんの異常さに絶句した。
不安くんはコミュ障なんかじゃない。むしろ積極的によく話す。ただ、引き出しの中に何もなかった。
携帯電話は持っていません。友達がいないので。
パソコンもゲームもやったことありません。持っていないです。親も買ってくれなかった。
家にいるときは親がつけてるTVを黙って見ています。
親と会話?ありません。親がしゃべらないので。
興味のあること?わかりません。今まで何にも興味持ってなかったので。
漫画読んだことないです。本?小学校のころに読書感想文を書くために読んだことがあります。
好きなタレント?女優?知らないのでわかりません。
アニメ?映画?見たことないです。親がその番組を見ないので。
(もう一人の男性が趣味でカブトムシなどを飼ってると聞いて)虫取りしたことないです。
子供のころに虫取り網持って公園とかいかなかった?と聞いたら、ありません、と一言。
(私が犬と猫を飼っているというと)犬も猫も触ったことないです。
(自分の部屋には何があるの?と聞くと)自分の部屋というものはありません。
(好きな食べ物は?と聞くと)好き嫌いはありません。考えたことがありません。
(お給料はどうしてる?と聞くと)全て親に渡しています。
最後にリーダーが聞いた「お前…生きてて楽しいことあるの?」が軽く怖かった。
不安くんは明朗に「わかりません」と答えたが。
もう会話の糸口とかいうレベルじゃなくなった。
そんな不安くんは呼びかけてもぼーっとしてて気づかないことが度々あった。
リーダーが、「あいつ呼びかけても反応しねえ、石でも投げるか」というので
「彼は宇宙人なんですよ。今、故郷の星と交信中なんです。」と投石を止めたらその日から
彼のあだ名は宇宙人になった。
会話の糸口がなかったので、周りは色々な質問をネタのように投げていた。
「宇宙人、海水浴とかしたことある?てか泳げるの?」とか、
「宇宙人、きのこ派?たけのこ派?」とか。
まさかと思ったけどきのこの山とたけのこの里も知らなかったので誰かがコンビニで買ってきて食べさせていた。
「これすごく美味しいですね!」と笑顔で言ったのが忘れられない。
誰かが買って置いといたジャンプやらヤンマガやらを誰かが読ませたりしてた。
DSを持ってきて、ゲームを教えていた人もいた。目がチカチカして無理!と1分でギブアップしてたけど。
程なく、私はその仕事を辞めた。宇宙人も短期契約だったから辞めたと思う。
その後は全く解らない。何か楽しみが出来てるといいのだけど。
ただ、これは15年くらい前の話。彼はもう40過ぎくらいの年齢のはず。
強烈なインパクトのあった人だけど、名前も忘れた。顔は覚えているけどね。