祭りの夜(終焉)
これはまずい。
いきなり暴れだしてもおかしくないシチュエーションだ。
酔った脳みそをフル回転させなきゃ。
こんな職場ご近所で暴力事件とかになったら、仕事やっていけない。
見事なくらいの自己中心的発想で打開策を考える。
店員のお兄さんもカウンターの常連さんも呆然とゆみこちゃんを凝視している。
井戸から出てきた貞子としか思えない。
全員金縛りで当然だ。
保身ゆえ自力で金縛りを解除する。
た、タオルとかあるかな?
店員さんに声掛けると店員さんの金縛りも解けた。
「ああ、はい。」
奥に引っ込む。
「ゆみこ…あんたそんなに濡れて…」
よろよろとエリちゃんが近づくと憤怒の形相でゆみこちゃんが怒鳴った。
「酷いじゃないっ!ふたりとも!」
よかった。ふたりってのは(多分)かずとエリちゃんだ。私は入ってない。
そんなこと冷静に考えた私は馬鹿だ。
「いつまで一緒に飲んでるのよ?かずくんはうちの彼氏なのよ?!なんで一言も返事くれないのっ!みんなでどうせうちのこと馬鹿にしてたんでしょっ!きち◯いとか言ってんでしょっ!」
当たらずといえども遠からずかな。
いや一人脳内会議してる場合じゃない。
店員さんがタオルを持って戻って私に手渡す。
ゆみこちゃんに近づくのは嫌なんだろうなー。
かずとたけはまだ立ったときのままで固まってる。
こいつら使えねぇー。
はい、怒鳴らない。他のお客さんもいるからね。迷惑でしょ。
タオルを差し出すと跳ね除けられた。がーん。
静かにしてね?
「…知らないわよ」
今度は呟くくらいの小さい声だったけど地の底から響くような重低音だった。こえぇー。
これは外に出すより入れてしまうしかないととっさに判断して中に入るように促す。
背中にタオルをかけてそっと押すと意外にも抵抗なく中に向かって進んだ。
4人掛けのテーブルだったので自動的に自分を弾いてエリちゃんを自分が座ってた奥に行かせてエリちゃんが座っていた椅子に座らせる。
暖かいウーロン茶か何かお願いします。
私が店員さんにそう声をかけると、ゆみこちゃんがぼそっと言った。
「うちもお酒」
「日本酒。熱燗でっ」
挑むような目つきで店員さんを見る。
でも、精神的な病気の薬を服用してたらこれは非常にまずい。
薬、飲んでるんじゃないの?だめだよ、お酒は。
「今日は飲んでない。」
だめだわ、今日飲んでないのは酒だか薬だかわかんないけど絶対に飲ませられない。
お茶にしてください。
「お茶でいいよな、ゆみこ」
やっと気を取り直したかずがゆみこちゃんに声かける。こんな優しい声出せるんだ。
平時なら笑ってやるところなんだが今はだめだ。
ゆみこちゃんが頭を小さく下げる。頷いたのかな。
頷いた髪の先から水滴がぽたぽたと落ちていく。と同時にシクシク泣き始めた。
「エリもかずくんも返事してくれないし、うちだけ仲間外れにされたと思ったら不安でぇぇ…」
ようやく振り返ったまま凝視してたカウンター席の常連さんたちも前に向き直った。
事態はまったく解決してないけど、最悪の事態にはなってない。
「えっえっえっ…ゆうこって誰なの~…」
はい?
エリちゃんも目が点になってる。
「ゆうこ?」
「今日、かずくんが…うっうっうちのことゆうこって呼び間違えたぁ…」
………。
「ゆうことか言ってねーよ。なにそれ!ゆみこってちゃんと言ってるよ!友達にも知り合いにもゆうこなんていねーし。知ってるのは大島優子くらい」
うーん、大島優子は余計。
店員さんが、お通しとホットのウーロン茶をゆみこちゃんの前におく。
ゆみこちゃんの前にあったビアジョッキを引いて、新しく私に生ビールをくれ、立ったままでいる私に丸い折りたたみの椅子をくれた。しょうがなくテーブルのサイドに座る。
「…大島優子…好きなの?」
ゆみこちゃんの声のトーンが1段階か2段階下がった。
「いや全然AKBとか興味ないし!」
「…。」
「…。」
沈黙の呪文か。
「みんなぁ…楽しくやってるんだろうと思ったら…なんでうちだけこんなに辛いのに…みんなずるい」
最早なんと言っていいのか解らない。
「だいたい…あんたなんなんですか…」
そう言いながら私をキッと見据えた。
「いい歳して、若い男の子と遊んで楽しいんですか?おばさんのくせに図々しい」
わ、こっち来たー。
敵視されてるとはさっき聞いてたから対して驚きはしないものの、その言い草には少々腹が立った。
自分の周りの幸せそうな人はみんな許せないんだろうけどそれじゃあなたは一生救われないよ。
そうやって人を攻撃した分、全部自分に返ってくるものだから。
私はおばさんだから、あなたくらいの悪意ぶつけられても大したダメージはないよ。
それの何十倍も理不尽な悪意ぶつけられたことあるからね。
そんなんでいちいち傷ついてたら人生なんてやってけないのよ。
でもね。たくさんの人と知り合って悪意も善意も見てきた。
悪意で人罵ってきた人ほどどん底の人生になってて誰も幸せにはなっていないんだよ。
「なにそれ…うざい。説教ばばあ…」
おう。倍返し。
うざくってもいいよ。
自分のことを客観的に見て自分のことが好きだと思えるようになりな。
それが辛い思いしなくて済む最善手だと思うよ。
「好きじゃないよ。こんな自分。死ねばいいと思ってるよ。みんな思ってるよ。」
ウーロン茶のグラスを両手で包んだままゆみこちゃんはぼそぼそ呟いた。
「ごめんなさい。かずくんもたけくんもエリもごめん。」
居酒屋の閉店時間が近づいていた。
かずとたけとゆみこちゃんがタクシーに乗って帰っていった。
エリちゃんが言う。
「いやー人生で初かもしんない、ゆみこが私にごめんって言ったの」
ごめん記念日だー、と言って笑った。
「ああ、もう日付変わって7月になったんですねー、7月1日ごめん記念日」
なにそれくだらないなー。
私も笑った。
「蜜柑さん、これから飲み直しません?」
おいまじかよ。
「私、ずぶ濡れゆみこ見て酔いが冷めちゃった。」
気持ちは解る。
「そうだ、あの向こうの屋台で〆のラーメンくらい付き合ってくださいよ。」
えー深夜のラーメンとかおばさんにはご法度なのにー。すぐ血となり肉になるー!
「大丈夫ですよ!明日腹筋とかしてください!」
そういうと、エリちゃんはさした傘をくるくる回転させながら歩き出した。
若さってすごい。もう疲れた。